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生名島の巨石

(※リンクはトップページの「白石の鼻」研究レポート 目次に張って下さるようお願いします。) 

推奨記事 ★夕日の鑑賞会 9月20日報告!

------------本日の記事はここから----------------

「オーラ立つ聖地を求めて」のブログを書かれているアリスさんから写真の転載の許可を得ましたので、愛媛の旧生名村にある巨大な立石(メンヒル)の写真を紹介します。


グーグルマップにもマッピングしました。
詳細はアリスさんのブログをどうぞ。

--------アリスさんのブログより------------

img_896425_13458526_0.jpg


img_896425_13458526_1.jpg


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写真から見ると相当にでかいですよね。5m以上あるように思います。
それに、背後の山は山全体が祭祀の場=磐座(イワクラ)として形成されているようですね。


-------------生名村教育委員会------------------------

この立石は、心霊の宿る石神として弥生時代の人々の信仰の対象でありました。
生名島の石ではなく(原産地不明)、海上輸送されたものと思われます。

石の高さ約5m(地下2m)、周囲約20m(地下周囲25m)あります。

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生名村教育委員会では付近で採取された土器、石器類から弥生時代のものではないかと推定していますが、個人的にはもっと古いのではと思っています。


弥生時代にこんな、巨大なものをどうやって海上輸送したのでしょうか?(^^;;;


現代の歴史学・考古学がまだ未解明な何らかの高度な文化をもった技術者集団がいたと考える方が個人的には納得するのですが(笑い)。

そして、岩城島の山上にも巨大な磐座が存在しているのです。

現代ではこういった離島は交通の便が悪い僻地と考えられていますが、古代、海上交通が主力だった時代は交通の要衝であり、食糧も豊富で大都会だったのでしょう。

逆に平地は原生林に覆われており交通に住むのにも不便でした。古代の住みやすい地域は島々と中山間地だったのでしょう。

私も子供の頃は陸続きだったのにも関わらず、その地域の都会(町)に出るには船でした(笑い)。
陸路より海路の方が便利だったわけです。

現代と全く逆です。

発想・意識を変えれば、現在の離島も住みやすいのかもしれません。

暫く、瀬戸内海巨石文化の足跡も追ってみたいと思います。






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テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

篠澤邦彦

Author:篠澤邦彦
 H20.1月に偶然、通りかかった瞬間に「白石の鼻」の巨石がオーパーツであると直感。その後、集中的に調査・研究し、春分(秋分)、夏至、冬至の二至二分の夕日のラインと巨石群が整列することを実証。秋分の3日前に地元住民等と協力して「秋の夕日の鑑賞会」、12/14に「冬の夕日の鑑賞会」を成功させる。9/27にイワクラミット(神戸)にて研究レポートを報告。歴史研究会12月号「白龍石の謎」が掲載される。現在、「白石の鼻」巨石文化の可能性について研究・情報発信・普及に努めている。
モットー「固定観念をぶっ飛ばせ!」

郷土史研究家
(主に先史時代の巨石文化について探求しています)
全国歴史研究会会員
イワクラ学会会員

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